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仕事柄、海外に行くことなんて滅多にない。この度ひょんなことからNew Yorkに旅する機会を得た。 しかも長年私が愛用する楽器を携えて。
実は去年の春頃、ある矯正学会の大会会長を務める友人から誘いを受けた。 2006年3月2日から三日間、New YorkのJazz At Lincoln
Centerで第一回舌側矯正の世界大会を開催する。 場所が場所故にレセプションの席で日本の歯科医師を代表して演奏しないかという話が舞い込んだ。 しばし考えたものの、若い頃からの憧れの地〜Jazzの本場New
York〜幾つかの不安があったものの私はその話に乗った。
準備期間は10ヶ月。演奏からやや遠ざかる昨今。 メンバーは?曲目は?演奏時間は?Jazz At Lincoln Centerってどんな?その間の診療所は?会務は?などなどいろいろな関門が立ちはだかった。 でもとりあえず私は稽古を始めた。
ほどなくメンバーは決まった。 当初ジャズピアノを習い始めたばかりの二十歳の娘‘タカちゃん’とのDuoだけでやろうと考えた。しかし1時間半のステージはとてももたない。 そこで東ワシントン大学のジャズ課で作曲を3年勉強した杉本‘周’介君にピアノをお願いした。 そして知人の紹介でNew
York在住ジャズマンのMarvie朝倉さんがベースを引き受けてくれ、現地で落ち合うことにした。 朝倉さんは10年ほど前に日テレのタモリの番組『サウンドイン
S』に3年間世良譲トリオの一員として出演していた。 50歳を過ぎた頃に一念発起して渡米して5年、Jazz一筋の一流ミュージシャンである。
周ちゃん曰く“せっかく本場でやるんですから、オリジナルで勝負しましょう!”という気合の入りよう。 素晴らしい作品を10曲も用意してくれた。 そのうちの1曲がなんとも素敵だった。 お聴かせできないのがとても残念。 たった4小節の前奏の中に今回の旅の想いの全てが表現されているようだ。 まさに飛行機が全速力で滑走路を走り、機体が浮いた瞬間を描写したような旋律である。 出来立てほやほやでまだその曲の題名が決まっていなかったリハの初日に“呂さん、名前考えて下さい!”と周ちゃんに言われた。 私は迷わずその曲のタイトルを決めた。 “Fly
to New York!”
2月27日私の家族とピアノの周ちゃんは14時間のフライトを終え、ケネディー空港からヒルトンホテルへと向かった。 外気温は零下4度。 なにしろ生まれて初めての米国本土。しかも旅程の最終日が本番。 私はある種独特な緊張感に包まれた日々を送った。加えて飛行機の中の微妙な気流のせいで私の喉は次第に赤く腫上っていた。 “やばいぞ!咳がでたら楽器が吹けない。”
新たな問題も発生した。 ホテルに着くやいなや、ソフトケースで携帯したアルトサックスの低音部の鳴りがおかしいことに気がつき大層慌てた。フライト中気をつけたつもりでも、何かの拍子に振動を与えたのかもしれない。 すぐさま朝倉さんに連絡し、評判の楽器修理工房を訪ねて事なきを得た。
New Yorkは長方形の皇居ぐらいの広さのセントラルパークを中心に、東側に銀座のような高級ブティックや高級マンション。 北側にちょいと犯罪の臭いがする下町的ハーレム。 西側に上野の森的リンカーンセンターなどの芸術村。 そして南側に新宿のようなタイムズスクウェアーや横浜のようなチャイナタウンがある。 100年以上の古いビルとモダンなビルとが混在し、見事に碁盤の目のように調和している。 零下の世界をニューヨーカーは足早に歩いている。 痺れるような寒さが身に凍みる。
本番前日、私と娘と周ちゃんは予め朝倉さんが用意してくれたタイムズスクウェアー近くのスタジオに向かった。 一流プロとのセッション、緊張しないわけがない。 曲の説明を終え、明日のオープニングの“Fly
to New York!”から練習を開始。 世界で一番高いギャラを要求する娘のノルマは2曲。 ルバートからのインテンポがなかなか決まらない。 “がんばれ、タカちゃん、Tiffanyが待っているぜーい!”
約3時間のリハーサルを終えた。 家内と合流した私たちは朝倉さんの案内で横揺れのするエレベーターに乗り、夕暮れのEmpire State Buildingの頂上へ向かった。 見渡す限りのビル群にさすがの東京っ子もびっくり!田舎から来たと思われるそばかすだらけの米国人もびっくり! 筆舌に尽くしがたい夕焼けの美しさと刻一刻と点灯し始める高層ビル群にしばし言葉を失う。
“これがNew Yorkか!”
3月2日、朝から雪。 午前中、家族と周ちゃんは買い物や美術館めぐり。 風邪気味の私は念のため外出を控え、ホテルで譜面のチェックやロングトーン。
長野の八ヶ岳山麓に住む周ちゃんは、都会が苦手と言うわりには持ち前の英語力を駆使して旅を楽しんでいた。 観光コースになっているBlue Noteなどには行かずに、ハーレムのマニアックなジャズクラブに毎晩二人で闊歩した。行きはタクシーでも、深夜は拾えないので地下鉄で帰る。 フェリーや地下鉄は24時間営業。 New
Yorkには最終電車という言葉がないのだ。 決して明るくない車内に幾人かの黒人がジロリ・・・・“落ち着け!New Yorkは変わったのだ!”
周ちゃんが買い物から帰ってくると頭痛を訴えた。 外気温零下7度。山の生活で寒さには強いはずだ。 職業的楽士にとっても今宵のステージは特別なものなのかもしれない。 薬効あり会場に出かけるころには回復していた。 新調したスーツに身を包み、楽器を持ってホテルを出た。
Jazz At Lincoln Centerは2年前にリンカーンセンターから独立し、セントラルパークの左下のコロンバスサークルに面したビルの中にある。 クラシックとジャズの奏法を使い分ける知的トランペッターであるWynton
Marsalis氏が監修し、大・中・小の3つのホールから成る。 なかでも階段式500人収容の中ホールは秀逸だ。 舞台の背景が総ガラス張りで、セントラルパークや街並みが一望できる。 朝からの雪景色が一層ゴージャスな雰囲気を醸し出している。
“まいったぜ、Marsalis ! ”
私達はフランス人の学会長や友人の大会会長夫妻の歓迎を受けた。 ステージでサウンドチェックの後、控え室へ通された。 部屋にはSteinwayのアップライトピアノまである。 “ここまでやるか、Marsalis !!” あと1時間で本番だ。
なにしろ華やかな矯正学会であった。 体格のいい黒人のウェーターや、皮膚占有面積の少ない衣服を着たウェートレス。 “ウァオー!!!”私の目には各国の学会員でさえ映画のワンシーンに出てくる紳士淑女達のようだ。 4月の保険改定を前にしてこのような自由な世界が・・・・?何を無粋な!今宵の俺様はジャズミュージシャンだぜーい!
本番10分前、スタッフに誘導されステージへ向かった。 艶消しのNew York Steinwayが妙にまばゆい。 蓋が開けられたグランドピアノの前は楽士にとっても特等席。 二台のSelmerのサックスをスタンドに立てかける手がわずかに震えている。 対座式のコンサートと違い、カクテルパーティーはザワっとしているが意外とやり易い。 瞬間芸的芸術はビールの泡、いや、せめて今宵はシャンパンの瀟洒な泡となれば良いのだ。ただSwingさえすれば良いのだ。 15歳からの道楽のせいか、楽器を構えるとむしろ落ち着く。この演奏旅行を結婚25周年記念とした連れ合いも、現地在住の友人達も飛び切りお洒落して駆けつけてくれた。
英語で私達のアナウンスが始まり、RO’s Jazz Bandは完全に本番仕様の顔になった。
私は“Fly To New York!”のカウントを開始した。
呂 正博
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